岩元睦夫 (いわもと むつお)

農学博士
元 農林水産省農林水産技術会議 事務局長

略歴 昭和18年11月17日生まれ。O型。鹿児島県立鶴丸高校から九大農学部農業工学科に。九大大学院に進み、九大農学部助手(農産機械工学講座)昭和48年10月に農林省食品総合研究所研究員として入省。食品流通局企業振興課技術室長、平成元年10月食品総合研究所食品工学部長、平成5年1月農林水産技術会議事務局研究管理官、首席管理官を経て農業研究センター総合研究官、農研センター次長、東北農政局次長、東海農政局長、農林水産技術会議事務局研究総務官、同事務局長に就任。退官後に国際農業研究センター理事長、社団法人農林水産先端技術産業振興センター理事長など歴任。

岩元睦夫氏について

農林水産省の中で「研究職」で行政の「局長」になることは稀であるが、岩元氏は「東北農政局次長」「東海農政局長」を務め、さらに農林水産技術会議事務局長の時、小泉内閣の武部農林水産大臣に「バイオマスニッポン総合戦略」を提案した人物であります。また、現場主義で「論より証拠」を大切にし、いろいろな研究開発を実際に見て評価していくことを信条とし、「マユツバの会」を農林水産省の中に作って話題になったこともあります。
農林水産省のOBはじめ現役から「薩摩っぽで、えらく人情味がある人」と評され、頼りにされている人でもあります。カラオケを歌わせたら〝真打ち〟というあだ名があるほどで「昴」を得意としています。家族は現鹿児島知事の奥さんと同級生である夫人と二人の息子さん。好きな料理は「魚料理」。

(文責・環 境農業新聞・成瀬一夫)

自然との共生社会の実現と「農」の役割

 今週の火曜日、あの日から3回目の3.11を迎えた。改めて犠牲になられた方々へ哀悼の意を表するとともに、元の平和な生活に思いをはせながらも、ままならぬ現実の中で日々の生活を送られている被災地の皆様に対して心より激励の言葉を届けたい。

 ところで、単に大震災といって片付け、一方で未曾有とか天災とかで割り切るのであれば、命を落とされた方々や被災された方々に対して申し開きができないと思っている。辞書によれば、未曾有の原義は未だ起ったことがないこととある。しかし、地震国の我が国では、史実として記録に残された大震災は数多くあったし、全国各地に過去の大震災にまつわる事跡や故事が残されている。決して未曾有ではない証しである。

原発事故にしたってスリーマイル島、チェルノブイリの大事故のみならず、中小の事故を含めると、仮に未曾有の意味を滅多に起こらないことと緩めても、それら原発事故はこの半世紀に起きたことであり、未曾有では済まされないことは自明である。にもかかわらず、一部の者が「科学」という言葉の意味を曖昧にしたまま、天災という言葉ですべてをご破算にし、巨大な堤防で津波に抗しようとする発想や地球温暖化対策には原発が科学的にも最適とする発想など、「天災は忘れた頃にやってくる」という先達の教えを引くまでもなく、自然の摂理に背を向ける以外のなにものでもない。そうした発想がどうしてできるのか、今日まで科学・技術に関係してきた者として理解に苦しむのである。

92年にブラジルのリオデジャネイロで開催された国連環境開発会議「地球サミット」以降、我が国の環境行政は大きな進展をとげ、さまざまな関連法等が制定された。そのひとつに自然と共生する社会の実現と地球環境の保全を目的とした02年の「自然再生法」があり、また低炭素化社会、循環型社会、自然共生社会の統合的な取組による持続可能な社会の実現を目指すとされた06年の「21世紀環境立国戦略」等がある。

その当時、想像すらしなかった大震災が現実に起きて3年が過ぎた。この機会に「自然との共生」の発想の原点に戻り、庶民的・直感的感覚で震災からの復興の方向性のあるべき姿を考えてみることが重要である。そうすれば、その中で自ずから「農」の役割が浮き彫りになるはずである。