「食は国民の生命に直結する憲法事項です。食料安全保障、農業基本改定、そして、戦後日本農政の米国支配からの脱却へ」というテーマで船津 準二先生からご講演いただきました。
船津先生はライフワークとして日本の農政専門に50〜60年関わって来られ、現在は日本農業新聞で、農政のことを連載し、言いたいことを書いていらっしゃるとのことです。
これまで、農政に関わってきて、ある時に整理してみると大変なことに気づかれたとのこと。
それは、日本の農政が米国支配下で、戦後から今日まで続いているということです。
アメリカは日本に占領軍として上陸する3年前から日本をどのようにしていくか検討していました。
農業協同組合もアメリカが日本に導入したもので、農協を作らせて農地改革を行いました小作農を解体し、自作農への転換し、それを農協で管理させるというのもアメリカの発想でした。
最初に占領軍が手がけたのは学校給食であり、占領政策では学校給食がマストであったとのことです。
それは、短期的には食料不足のサポートでした、長期的には、アメリカの農産物、たとえば、小麦粉や脱脂粉乳、バター、チーズなど日本に持ち込むために行ったことでした。これが農産物の自由化につながっていったのです。
日米安保条約は1次は国防の条項ですが、2次には経済的協力の条項が入りました。
それが貿易の自由化、農産物の自由化であり、日本は安保条約の国防と経済的協力で縛られ、それ以降、貿易の自由化が本格化していきました。
長年の農産物の自由化の結果、従来は日本の食料自給率は80%であったが、現在は37%という危機的な状況になりました。
本来、国民が安心安全で食べることが出来る食料自給体制が大切であり、それができていないのが大変な問題です。政府は戦後から、今までアメリカに忖度し、いっしょになって農産物の自由化を進めてきています。
政府は食料自給体制の危機をふせたまま、農政を行ってきているという政治的な問題があります。
政府では、このような状況を変革できないのは目に見えています。
本来、主権は国民にあり、私たち国民が立ち上がり、声を上げ、国民の総意でこのような流れを変えていく必要があるということで締めくくられました。
第15回日本の農業と食を考えるシンポジウムへの船津準二先生からの寄稿
(事務局補足)25分の講演では 時間が足りずかなりの内容をはしょってしまったということで、今回のテーマについて以下の文章を船津先生から寄稿いただきました。
私、船津準二は、別名、岡目八目といいます。真相を探ぐる悪い癖があります。話をしていても脱線します。「環境農業新聞には、岡目八目の名前で数年前から連載」させて貰っています。成瀬社長とは長年のポン友です。相手は悪友と思っているのではないですか。なにしろ、真相と称して、物事を傾め(ななめ)にぶったきっているのです。
テーマとしていただいた「今、食が危ない」には同感です。
というより。私が長年訴えていることです。ただ、私の場合、立ち場上、どうしても政治との“からみ”が出て来ます。健康上の問題は、専門の方に頼むことになります。線引きをさせて下さい。
岡目八目の由来は、五年前、農水省の大物事務次官との会話、
船津:「あなたはあと一年続投、その後は〇〇さん、そのあとは〇〇さん」
事務次官:「オレがわからないのになんで」
船津:「岡目八目ですよ」
事務次官スマホを取り出し“岡目八目”検索。「これならオレもちょくちょく使うよ」
船津:「元祖は私ですからね」。
後年、この人事はその通りになりました。
囲盤の傍からだと八目先が読める、という先人の知恵です。
このことから、物事の渦中から一歩外に出てみると、中の真相が良くわかる、という真理です。
浮気なども、ピタリと当たります。
目を見て話をすれば、かんたんなことです。皆様も一度試してみてはいかがですか。家庭円満のコツです。
本題に入ります。
(おもしろくありませんが、国会答弁のように下原稿を用意しましので)最初に、米国支配下の日本の農政です。私が子供の頃、百姓家の庭に、アメリカ兵の食料をドラム缶に積んだ落下傘が落ちました。三百メートル先に炭鉱があって、捕虜収容所があったことから、食料を補給したのです。子供だった私たちは“ワッ”とかけ寄り、ビスケットやらめずらしい菓子をねだったものです。年を経て、後期高齢者になった今、それらのことが、米国支配下の農政のはじまりだったことを知ります。
東京では学校給食です。
東京に上陸した占領軍(GHQ)が目にした児童の欠食、飢餓状態は占領軍の心を動かしたことは事実。と同時に、戦勝国として占領政策を通して、自国の余剰生産物・食料を日本の一億人市場化を図ることを意図したのです。
方法は“アメ”と“ムチ”
“アメ”は、在庫品の食料と食品です。小麦粉、脱脂粉乳、乾燥野菜、砂糖、大豆カス、コンビーフ、ランチョンミート、トチリコンカン、バター、チーズ、コッペパンなど、日本では馴染みの薄い食料に児童は手を合わせ、飛びついたのです。米国の意図のムチは、日本のコメ中心の和食を米欧風のパン主体の食生活に改革する長期食料戦略でした。食事改善運動として全国的に行われたものは、米国食材・食品の普及活動にすぎなかったのです。
米国の食料戦略は、児童への学校給食を前期として、1960年の「日米安全保障条約」によって制度化します。
1951年の一次日米安全保障条約にはなかった「経済的協力」(第二条)が盛り込まれ、国防と経済の両面から日本を支配下に置き、米国の重点占領政策であった農産物の貿易自由化を本格化したのです。日本は、疲弊した国の経済を復興させるとした経済成長優先の下、農業、農村をその受け皿にしたのは、国民衆知のことです。
貿易自由化交渉の最中、農林水産省の担当幹部が「安保条約があるため、自由化のテーブルに乗らないわけにいかないのです」と嘆いていました。
昭和三十年代にあった百余りの非自由化品目(IQ)は、今では、国家貿易品目の米などを除いて全て自由化されました。
日米安保条約を契機に、その翌年には農業基本法が設けられ
選択的拡大、農業構造改善事業などが進められ、約三十年にわたる自由化交渉が農業者の反対を押し切ったのです。自由化を封印するための“新農政”、“農政改革大綱”、“食料・農業・農村基本法”と続き、米国型食生活を全国民に定着させるための“食育基本法”、さらに先送りされてきたコメの自由化や関税撤廃などの“日米貿易協定”など米国忖度の農政が続きます。
食料自給率は、先進国最低、世界の飢餓国の水準まで低下しました。
米国支配下の日本農政が辿ってきた現実の姿です。
食料安全保障が賑やかです。岡目八目は、これを「根の無い浮き草」といい続けています。
響きの良い安全保障という言葉は、「日米安全保障条約」から寸借したものです。従って、「食料安全保障」は理念なき造語にすぎません。国連が発信しているこの用語は、食料飢餓国を念頭に置いたもので、日本はその支援国と位置づけられているのです。日本で云う食料安全保障とは別問題であることに留意しなければなりません。
日本で食料安全保障という用語が公文書に現れたのは、平成十一年(1999年)の食料・農業・農村基本法の第十九条「不測時の食料安全保障」です。
不測時の確たる定義はありません。天候不順で不作になったり、輸出国のトラブルで輸入が途絶えるなど想定したもので、なんでもありき、というものです。以降、20年間、音なしのかまえでした。なぜなら、不測の事態は起こらず、「基本法で自給率は向上させます。」と明記したにも拘わらず、食料自給率は下がる一方で、ただ傍観していたからです。ロシアのウクライナ禍が発生したことで、「それ!!食料安保だ!!」と小躍り、俄かに活気付いているようです。
日本の食料安全保障は、極めて明白です。食料自給率を昭和三十年代の八〇%水準、米欧諸国の下限八〇%水準にまで回復させることです。
経済的には世界のトップグループ、食料自給率は最低グループという姿が、世界の平和を乱す最も危険な国になっています。ちなみに、欧米等の自給率は、カナダ206、オーストラリア200、アメリカ131、フランス125、スペイン100、ドイツ80などとなっています。これらの国には、自国の食料安全保障の政治課題はありません。日本の国内事情は、米どころの北海道、東北、新潟は100%を超えていますが、東京ゼロ、大阪、神奈川2%など、大都市は、実態飢餓国となっています。米どころの担い手の高齢化は高く、後期高齢者が中心です。あと十年もすれば、と考えるだけで、背すじが寒くなります。食料危機に入っているのです。
農業の基本法の見直しが進んでいます。
農業の教典とされた「農業基本法」を見直し、現行の「食料・農業・農業基本」に移行するのに7年かけました。今回はわずか1年で結論を出すといいます。本気ではないのです。その動機は、食料安全保障と同様、ウクライナ禍に便乗したものです。岡目八目は「盆栽の剪定」と断じました。枝・葉を剪定し、見栄えは良くするが、幹に手を入れるとはしない、ということです。基本法の見直しに今、求められているのは、幹を手術することです。
結論から云います。
戦後八〇年続いてきた農業者主体の「農業政策」を国民主体の「食料政策」に転換することです。農業政策の土台となった農業従事者は、すでに十分の一に減り、農は国の基とする基礎はすでに崩壊しています。自生は、国民の生命に直結する食料の心配のない日本の構築にあります。国民主体の食料政策への転換です。健康に良く、安心安全な食料の安定確保です。”生産したいものを消費しろ”という発想を”消費側が望む食料を生産する”という考えに切り換えることです。”農政栄えて農業滅ぶ”時代は終わりました。「農水省」の看板をおろし、「食料省」にすべき時代に入っています。
食料の基本は、二千年の伝統で築いてきた自然農法による産物です。
次世代に引き継ぐ農法の指針を基礎に、省力化技術を組み込み、希望と夢の抱ける食料政策を国民に与えることです。
最後に
では国民はどうすれば良いのか。日本は国民主権の民主主義国家です。国民の総意をもって対抗することです。食料自給体制の確立、脱戦後レジウムを旗印に行動を起こすことです。
発表のアーカイブ動画は以下リンクをクリックするとご覧いただけます。(「午後の部」のボタンを押して、2時間12分25秒ぐらいから) https://stream.homoeopathy.ac/live/live20230603cartr456Ub6SPM/index3.php